腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

旅のはじまり


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ぼくはいま旅をしている。実際に旅をしてるのだけど、人生を旅に例えるならば間違いなくハイライトであろう。

 

というのも、安定しているといわれる公務員を退職し、受かるかもわからない海外の大学院行きを決め、取れるかわからないIELTSスコア取得のためフィリピンへ語学留学にいき、スウェーデンの大学院を紆余曲折のうえ、なんとか卒業して、いまにいたるからだ。この2年は人生において、自分自身をふりかえり、自分自身が身を置く価値観を一からつくりなおした年月だった。

 

文章にしちゃうと一瞬で語れるのだけれど、この間になにがおこったのか、そして、いま実際の旅でなにがおきているのか、を少しずつブログに綴れたらとおもう。留学中のこと、いまの旅してることもほとんど書いてないから、ボリューム的にも大きくなるだろうし、それ以上に時系列がバラバラになっちゃうかもしれない。

 

自分的には自分が感じたこと、考えたことが整理されることがよいし、僕が体験したことは、きっとまちづくりや地域づくり、しいてはいい社会をつくろうと関わる人にもヒントになるんじゃないかな。ぼくの公務員時代の疑問は、なぜ、だいたいの政策がGDPに基づくような数値化されるもの、お金が儲かるもの、のような価値観に基づいてつくられてしまうんだろうっていうことだった。これって大きくいったら、なんでこんな世の中はマテリアライズ(物質化)しちゃったんだろうっていうモノだった。

右肩上がりの時代を経験した人にとってはよくわからない疑問かもしれないけど、少なくとも昭和の終わりから平成に入ったひとたちはこんな感覚になったことはあるんじゃないかな。

だからぼくの大学院の先攻は、サステナビリティ(持続可能性の社会性って?) そのサステナビリティを牽引し、求められるリーダーシップとは?だったのだ。自分が期待したことが全部学べたわけではなかったから、その補講をするため、旅をしているようにも感じる。

だから、これからの社会の方向性がわからない人にはヒントになるだろうし、そしてぼくもわからないからこそ、もがいて、挑戦して、挫折して、たくさんの感情をひっくるめて、いまここにいる。なやんでる人と一緒に考えたいし、答えがひとつでもないだろうしね。そして簡単に答えでたら、そもそも、ぼくはここにいないだろうし笑

 

なまあたたかいめで読んでくださいな。

 

写真はたびのはじまりはスウェーデンではじめてのったのった電車の表記。犬ものれること、静かにしたいひとのスペースがあることだったのだ。

 

バックパックで旅をするとこ


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前置きでもいったように、いまぼくはバックパックひとつで旅をしている。高橋歩さんに影響をうけて世界一周を夢みてるころから、働いくようになって現実をみるようになるまで、これまでいろんな人の世界一周ホームページをみてきた。そのなかで絶対語られているのが、コロコロでいくのか、バックパックでいくのか、だ。

妄想のなかだけだと、どっちがいいのか、中々決めにくいのだけど、僕はフィリピンのIELTSの学校にいくときにバックパックをかっていたので、自然の流れでバックパックで旅をしている。(スウェーデンに留学するのにも、スーツケース1個、バックパック1つという、超ミニマリストで留学にいったの。)

 

大学生のころから、海外にいくようになってたのでいまちょうど20ヶ国を旅したことがあるのだけど、バックパックの最大の長所がわかったの。それはね、自分の持てる分だけしかもてないこと。

 

バックパックを背負ってるといやでも重みを感じて、歩くのがだんだんと億劫になってくることがあったの。それってね、結局自分が必要なもの以上のものを背負ってることに気づいたの。だから重いなぁってかんじたらそれは、「贅沢」なものをまだいれてるんだよね。シャツは違う種類がほしい。このTシャツにはこのパンツをあわせたい、とか余計なものがふえていく。旅をすればするほど、なにが必要で、なにがファッションでもってるかっていうのがすごくよくわかる。自分自身がどれだけ不必要なものに囲まれたのかってのがすごくよくわかった。

 

ひとがいきてくのには、バックパックに収まる分で本当は十分なんだ。

 

そしてこのバックパックに収まる分で十分なんだって感じれるとすごく楽になれるよ。人生に必要なものはあまり多くない。自分でもてる分だけだよ。

 

 

腹よわ男子の背景

 

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これまでの経験上、自分の文章って自分を知っている人だと面白さが倍増するということがわかっているんだけど。
逆に知らない人が読んだときに、自分は感覚で書いちゃってるから、その感覚を自分が知っている人はその余白を埋めることをできるんだけど、
知らない人はそれがギャップになって「はてな」ってなっちゃうんのよ。それがわかってるんだけど、自分の文章力だとそのギャップを埋めることができないの。。
あと埋めようとすると、自分のリズムが崩れるようで書けなくなっちゃう笑
それじゃ、会ったことない人はどうしたらいいの、ってなるんだけどさ!
 
だからちょっとだけ自分の簡単にこれまでの経歴?的なやつだけをちょっとだけ書いておこうかなって。だから、そこから自分を想像して欲しい。
そのイマジネーションがギャップを埋めてくれるのを手伝ってくれる、はず。
 
僕は、昭和の終わりに生まれて、終わりって平成には近くないけど。ものごころつくころには、バブルははじけてた。
親世代がよくいう「昔は良かった」っていう感覚がよくわからない世代のはじまりだと思う。ジェネレーションX。
 
小学校では、少年ジャンプは全盛期だった。ドラゴンボールスラムダンクダイの大冒険るろうに剣心ジョジョの奇妙な冒険、数えたらキリがないくらいど真ん中に体験した。
さらにはファミコンからスーパーファミコン、中学生になるくらいにはプレステーション、セガサターン、高校生の頃にはプレステーション2、ドリームキャストニンテンドーキューブとか?ジャンプとゲームだけ見たけど、この昭和の終わりの世代って、カルチャー視点からもちょうど昭和と平成の狭間にいるんだね。多分、ちょっとしたの世代からは、ドラゴンボールとかよりかはワンピース、ファミコンよりかはプレイステーションからカルチャーに入ってくって感じだもんね。
たぶん、携帯電話でも同じで、最初の機種はIDO。ワンギリとか流行ってたなぁ。っていうことをいうとだいたいどんなことをして、どんなことが流行ったかっていうのがみんなと同じだからわかるでしょ〜。たまごっちもポケモン(緑)もときメモもやったよ!
 
まぁ、みんなと同じでどこにでもいるふつうの子。 父親は自営業に近い、母親はパート。決して裕福ではないけど、普通の家庭で育った。家庭に問題があったことは後からしるけど笑
大学は、決して偏差値が高くはない普通の大学に入学。6大学よりも下、日東駒専レベル。頭が悪い方ではないけど、決していい方でもないかな。英語が好きだったという理由だけで、英米文学(っていうかその時にはただいろんな大学の「英語」ってつくところに応募したっていう感じだったように思う。)
卒業するころにはさ、就職時代もそんないい状況ではなかったし、後、自分の感覚かもしれないけど、世の中になんか全部出揃った感覚があったんのだよね。テレビは薄いし、インターネットは発達したし、ゲームはプレイステーション3だし、これ以上自分が入る余白があるの?って思ってた。だから、卒業後はフリーターになろうと思ってた。
 
公務員になったのは、地方公務員はただ単に親にいわれて入ったっていうことと自分が好きだった英語が生かせそうっていうこと、そしてもう一つ理由があった。(これはいつか文章にします。)
そこから、なんやかんやで10年くらい働いたの。最初は、税金のことを扱う部署に配属されて、「え、英語が使える国際には配属されないないんですか」っていうギャップからはじまったの。仕事は市民の人から疎まれるし、居酒屋にいっても市役所の悪口をきくし、、上司には気をつかうし、、、とってもつまらなかったです。(あとからつまらなかったのは自分と気づくんだけどね!)そのあとは、市役所の財布を扱う部署に転属されて、決算を打つときや予算を作るときは、夜中まで残業したり。こういっちゃなんだけど、税務→財務っていう流れは市役所の中では期待されるポジションなんです。(やめちゃったけど。)
 
最後から二番目は、まちづくりの部署に配属されて、公私関係なく、土日も働きまくって。めちゃくちゃイキイキと働くようになったのだけどね。最初の税務から財務は市役所の暗黒時代であった。最終的には働きすぎて、左遷させられるんだけどね笑 アハハ。
 
そこから紆余曲折あり、スウェーデンの大学院に挑戦し、受かり、紆余曲折して、なんとか卒業できたのだよね。本当にこの一年間はつらかった。
結局、今はバックパッカーとしてヨーロッパを旅してるのだけど。
 

単純にいうと、アラフォー、無職、だよね。

 
このあと自分の行く道をつくるとか、発見するとかでこのブログで報告するのが夢。
少しだけ、僕の背景が共有できたかなー。※写真はスウェーデンやヨーロッパのどこか。

運命のアラフォー


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前回のブログからのちょっとしたつづき。35歳という年齢はひじょーにあいまいである。若いようでいて、若くないような。理想と現実のギャップをしっていて、そのギャップの埋めかたもしってるような。ドラクエでいったらレベルが20くらいである程度の冒険ができる。

 

ちょっとまえにAERAとほぼ日で合同で企画された「40代は惑う」が遠からず近からず、ぼくの気持ちを代弁してくれるようにおもう。

 

https://aera.1101.com/

 

糸井重里さんいわく、20代や30代は自分の円の中にいる限り万能感に溢れているが、その限界をしるのがアラフォーなのだと。ぼくは二十代後半から三十代前半にまさに万能感を感じていた。仕事がたのしくてたのしくて仕方なかった。ただ自分のやりかたが偉い人たちにきにいられなかったことで左遷を経験したときに、糸井さんのいう「もっと偉い人をつれてきて」といわれたときと同じ気持ちになったようにおもう。

 

ぼくはいち早くその円からでてみて、海外の大学院に挑戦し、いまにいたる。それでもこのどこにもつかずの状態がどうにも、不惑をかんじるんだな。自分がこれまでやってきたことや海外の経験、十二分にやってきたはずだし、これからどこかでちゃんと発揮できるはずなんだけど。でもでも、不惑の怪物がたまにでてくるんだな。

 

アラフォーでも、いまだに迷って、いまだにどうしたらいいかわからなくて、それでもいまは旅をしていて。この道がどこに通じているかはわからないんだけど、だれかに見届けてほしいのかもしれない。そんなブログだ。きっと。

 

ブログをかく前置きのようなモノ


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いま、イタリアのローマにいる。なにをするでもなく、単に生活してすごしてる。まわりからみたらバックパッカーと呼ばれるかもしれない。というか、プロフィールに書いてしまった。それは憧れのようなものから。

 

小学生のときにおぼろげにおもったことがある。どこかで自分は世界にいくんじゃないだろうかと。もちろん、いまいるから空想ではなかったわけだけど。実際にはなんだか不思議だ。高校生のときのなりたい職業は通訳だった。それはただ単に、英語がはなしたくなりたかったのと、通訳してる人をテレビでみてカッコいいなっておもったからくらい。大学生のときに、高橋歩の世界一周する本を読んで、さらに世界への夢が広がった。本の中の世界はキラキラしてて、キラキラしてる人になりたかった。

 

それがどうだろう。いまぼくはローマにいて、公園でビールをのみながらこのブログをかいている。スウェーデンの大学院にもいったから、ある程度は英語もはなせるようになっている。あのころおぼろげに考えてたことが現実になっている。でも叶ったぜ!というやってやった感は全然ない。

 

それはぼくがすこし歳をとりすぎたのかもしれないし、キラキラの裏側のドロドロもわかるトシゴロになってしまったのかもしれない。物事は単純ではないのだなということがわかってるいるからかもしれない。20代のころに体験していたらまた別の感覚になるとおもう。

 

ぼくはアラフォーにもなるのに、キラキラとドロドロをいききしてるように感じる。その気持ちを言葉にしたくなったんだろう。ときに書きなぐったり、構成を考えなかったり、読み手の存在を忘れるかも知れないけど、どうぞ暖かい読み手のかたは、このあともご贔屓に。