腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

「きく」ことの可能性


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ひとのはなしを「きく」ことのできる組織はつよい組織だ。

 

このひとことが自分が「きくこと」に興味をもったきっかけだった。事の発端は、働き方研究家(さいきんはあまり名乗ってないけど)の西村佳哲さんの講演会でこの話をしていたこと。西村さんが働き方研究家をなのりだしたのも、自身の働き方に疑問があったから、まずは自分自身がいいなぁとおもうひとに話をききにいく、ということからスタートしている。話をきく機会が自然と多くなった西村さんは、きく、ということの奥深さに気づいていった。

 

普段あまり意識してない「きく」ことってあらためてなんだろうと感じたことと、市役所という縦の意識がつよい、話をきけない組織にいたことから、西村さんの「インタビューのワークショップ」にすぐ申し込んでいた。そこから「きく」ということに傾倒していって、産業カウンセリングのききかた、も学びにいくことになった。詳しくはここではかかないけど、二つのききかたを学んだことで自分はこれまでなんてきいてこなかったんだろうと感じた。自分自身の興味や関心が先行してるにも関わらず、自分はなんてきくことが得意なんだろうと天狗になっていたのだね、、

 

昨今の日本では就職するときにコミュニケーション能力が必須だという。これってなんとなく考えると、プレゼンテーションとか企画発案とか、場の雰囲気をつくったりしきったり、相手に伝える能力だと捉えられがちだけど、僕はそう思わない。コミュニケーション能力とは相手のはなしを本当に「きく」ことのできる能力をさすとおもう。(もちろん、その上で伝える力も必要だけど)。スウェーデンにいておもうのはね、ヨーロッパの文脈ではみんなこの伝える能力に秀でてるの。でも、相手の話をきくことができない。ここに僕は自分の役割をみつけた。相手のはなしをちゃんときく、そして受けとめてからフィードバックする。そうすると、みんながそのことを認めてくれたのだ、英語が流暢じゃなくてもね。

 

じゃぁ、どうやって「きく」の?

 

って質問があるとおもうけど、ききかた、はひとつではない。西村さんのインタビューのワークショップのききかたと、産業カウンセリングのききかたは似てるところもあればちがうところもある。ききかたは、たくさんある。

 

NVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)、カウンセリング、インタビュー、コーチング、個人の手法まで。ほら、阿川さんのききかたについての本もベストセラーにならなかったっけ?自分があいそうだなぁっていうものから、スタートしてみてほしい。NVCもさまざま人がワークショップしているし、本もでてるからとっつきやすいとおもう。

 

個人の感覚として、本当にきいてもらえると、「うけいれてもらえた」って感じるなの。この感覚って、安心するし、自分がそこにいていいようにおもえるの。こういう感覚が実はすべての課題を解決する一歩にも感じるけど、それはちょっとオーバーかな?

 

コミュニケーションに悩んでるひとがいたら、まずは伝えるではなくて、きく、からスタートしてみてはどう?

ブレーキンゲ工科大学

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スウェーデンで僕がいった大学の名前。工科大学っていうくらいだから、テクノロジー系の学部が多いのだけど、そのなかにひっそりとMaster of Strategic Leadership towards Sustainabilityというマスターコースがあった。頭文字をとってMSLSってよばれてる。今年で15年くらい?サステナビリティという学問はアカデミックの観点らみたら、まだまだ若いようにおもう。

 

スウェーデンは、世界ではじめて脱石油依存を宣言したり、リサイクル率が高かったり、いまでこそ環境先進国というイメージがあるけど、80年代ころは、全然だったらしい。またいつかブログにするけど。そして、90年代から環境意識が国全体で高まっていた。そして、経済成長だけってどうなの?っていうなかに登場したのが持続可能な社会ってなんなの?っていう考え方だったのだな。

(ちなみにサステナビリティ=環境保全ではなくて、もっとポップにいうと、地球も環境も人間が住む社会も、未来のひともハッピーになるように社会システムつくってこー!かな笑
※定義はどの文脈で語られるかによってかわったりしてくるので要注意。)

その登場に一役かったのが、このコースの創始者だっのだね。経済成長と環境保全が相反するモノだとおもってた社会にとって、みんなハッピー!の考え方は、目からうろこだったのだ。そこから20年くらい?途中で、サステナビリティを扱うリーダーを育てるリーダーシップがくっついていまにいたる。

 

このコースの特色として面白いのが、50人ほどの小さなコースに全世界中から生徒があつまるのだ。大きなプロモーションをしてるわけでもないのに、毎年数百人がその枠に応募する。サステナビリティを語るうえで多様性が大事なので、コース自体も多様性を大事にしてる。自分のときは世界27ヶ国から人が集まった。スウェーデンの大学に関わらずスウェーデン人は3人だったというのが驚き。

 

海外の大学院いきたい、っておもってるひとにはいろいろあるけど、おすすめしたい。まずひとつにこの多様性がたくさんの気づきをもたらす。ふたつめに、MSLSを選ぶひとたちはみんなやさしい、とおもう。みっめにカールスクローナという街が海に囲まれてとても美しい。そして学校の目の前も海なのだー!(写真は学校の目の前の)

もちろんいろいろには苦いポイントもあるけど笑 もしいきたいなぁなんて人は連絡してもらえれば相談にものります。たくさんのひとに支えれて自分もこの大学を選べたので。

経済成長っていつまで成長するの?


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あらためていいたい。

経済成長っていつまで成長するの?そして、いつまでGDPや儲かることや数字になりやすそうなものが指針になるのだろうか。僕が公務員時代に感じていた政策への違和感はだいたいこの問いが源流になってる。地方創生、地域活性化、、アイマイでキライな言葉だけど、この言葉に隠されたニュアンスって経済的に成功する、お金を儲けるってことがあるとおもうの。

継続性っていう観点からみたら、それはある意味イエス、といえる文脈もあるんだけど、そこではなくて。儲かることという世界観に基づいて選択が行われたいったり、行き着く先ってどこなの?って思ってしまうの。

僕の気持ちをすでに「成長の限界」という本が言い当ててくれてて、成長にはやはり限界があるの。だから、成長にかわるちがう世界観が必要なのではないかな、ってずっとおもってたんだ。だから、サステナビリティっていうフィールドを選んだのだけど。これが答えだ!というよりは、どういう世界観が語られてるのか知りたかった。「成長」以外を見たかった。それが大学院にいった理由のひつつだ。

なにかをはじめるときのあのドキドキ

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スウェーデンに行った時のことをよく覚えてる。

自分はこれから一年は外国に住むんだと、意気揚々となっていた。成田空港で、4、5年ぶりに市役所時代に仕事をしたアーティストの人と遭遇して、
「私はこれからアルゼンチンに1ヶ月」と言ってた。「僕はスウェーデンに1年」と返して、お互いの健闘を祈った。
 
僕が住んでた街はカールスクローナといって、スウェーデンでも南の方にあって、コペンハーゲンからの方がアクセスが良い場所にあった。
元々、港の要所でもあったので、大なり小なりの島々が周辺にあって、街自体もぐるっと海に囲まれている。海と言っても入り組んだ地形にあるので、湖みたいに全然塩の味がしない。
泳いでもベタベタしない。住んでたシェアハウスの大家さんが夏になると、「I will take a bath」といって、バスローブ一つで海にいけるほど、近い。
決して大きな街なわけではないけど、生活に困るものはなかったし、なによりもこのサイズ感が心地よくなっていった。自転車一つでどこへでもいけたからね。
 
最初に駅前におりたった時に、近くのホステルに泊まった。スウェーデンでは住宅状況が芳しくなく、家を探すのにとても苦労する。
外国人はその苦労が二倍くらいになる。不動産屋さんがあまり物件を持ってなかったり、個人で貸し出しているところも多いので、物件にリーチする、という基本的なところが大変だった。まぁ、着けばなんとかなるかって思っていたけど、家が見つかるまでにだいたい1ヶ月くらいかかった。
僕がとまっていたホステルは監獄をリノベーションしてできたホステルで、ドアがひじょーーーーーーに重たかった。大学院は課題だらけだったから、ヘトヘトの中で、そのドアを開ける時が一番心理的に負担がかかってた気がする。なんでほっとするための家で最後に難関があんだよ笑
 
何かかがはじまるときってドキドキと不安が半分でいつまでたってもその感じがなれない。たぶん、駅におりたった時にその感情がピークに達したとおもう。
市役所に入ってはじめて配属された時も、出向が決まって一人で出向先に向かったときも、このときもそう。
働きはじめて、日常が当たり前になってくると、そういったドキドキや不安を感じることがなくなってくよね。日々の仕事におわれて、なんとか頑張って仕事を終わらすと別の案件がまたふってくる。そうすると感情に浸るよりも、タスクをおわらせることが優先されて、自分が何を感じているかよくわからなくなってくる。そんな時に環境がかわるって大変だけど、すごくよいよ。自分の気持ちに気づく時間を無理やりねじ込まれるようで。
 
誰も自分を知らないところにいくって気持ちいいものだよ、最後にはね。
 
 
 
 
(ドキドキや不安もつかの間、大学が忙しすぎて、そして大変すぎて、だいたい泣いてる毎日を過ごすのはまた後のこと。)

ブログの心構え

 

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あ、もうひとつだけ。

自分は、いまなにものでもなくて。でも、こんな生き方もいいじゃない、ってのを叫びたいのかもしれない。それは大変小さな小さな声だけども。さきにおこることだってわからない、なんにも安定はない。それでもさ、なんかみんな本当はこういう風にもしてみたいんじゃないかなってのもおもう。会社にいることが、つらかったり、社会に居場所がなかったり。でも、なにものでもなくなってしまうことが、すごくこわかったりで。

 

自分はすごくこわかった。いままで自分自身が多少なりとも築いた場所を離れて、一からスタートするってことが。誰も僕をしらないし、文化も言葉も、すべてが違う。正直、去年のいまごろは毎日不安で、泣いてた。

けど、最後には自分であることがすごく気持ちよかったんだよね。なにものでもなくて、ただの自分自身。

 

こうなれってことではなくて、もしいま悩んでたり、不安を感じてる人がいたら、こんな普通の僕でもこういう風な生き方をできるっていうことを発信することで、おこがましいけど、希望になれたら、なんておもってしまったのだ。