腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

わからないものを説明するとき、の補足

サステナビリティの世界観

 
サステナビリティの世界観を説明するときに、違う文脈でアインシュタインニュートンが出てくる。
一つは、産業革命以後の世界観を作った創始者的なポジションで語られることがある。
もう一つは、アインシュタインの考え方。新たな課題解決をするときは、古い考え方を捨てなければならないってやつ。
 
今回言及したいのは、前者。
アインシュタインとかってなにか起きている現象を、なぜ起きているのか解明できる、という考え方を持っていた。(とサステナビリティの世界観では持ち出す。)
結局、その世界観から何がキーワードとして出てくるかっていうと、「合理性とか論理性」なのだ。
 
例えば、僕は今仕事なし、肩書なし、貯金なし、っていう状態なのだけど、自分のパートナーがそのことを女友達に話をしたとすると、
(合理性、論理性を基にして)いや〜〜、そいつはないでしょっていう風な結論を下す(はず。)
 
僕がエレベーターに閉じ込めれらた女性を助けたことや、リスクをおかして大学院に挑戦するなどの話は出てこないにしても、聞いたとしても、上記の「職なし、金なし、肩書なし」状態がきっと勝ってしまうだろう。
 
合理性や論理性は、全て数値化できるような気がする。30代でどれくらい稼いでるだとか、ついてる会社の株価はどれくらいだとか、貯金はいくらだという合理的な計算から、
30代半ばではこれくらいだろう、という友人たちは結論を下す(気がする)かといって僕が経験してきた体験は、数値化はできなさそうだよね。回数としてはできるかもしれないけどさ。
 
この合理性や論理性を基にした見方が世界を圧巻している、というのがサステナビリティの基本的な考え方なんだけど。
みんなはどう思うかな?
 
この考え方とは反対に、関係性すなわち包括性に着目するのがサステナビリティを語る上で重要になってくるのだな。