腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

わからないものを説明するとき


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先日書いたエントリで、自分が学んできたことを整理してみた。けれど、入口の段階であるにもかかわらず説明がすんごく難しいことにきづかされた。日本ではまだまだ馴染みのない領域であるし、そもそも学んできた言語が英語だから、英語から日本語に変換しなければならない。もともと難しいうえに、さらに困難がつきまとう。

 

よく物事を説明するときには小学一年生に説明するように言葉を選びなさい、ときく。例えば、僕は海外にいってコミュニケーション能力が鍛えられたとおもうけど、コミュニケーションという便利な言葉も小学生には、わからないから別の言葉を探すしかない。そして、一昨日のこと。自分が学んだことを両親に説明してみた。この説明をするプロセスで二つ感じたことがある。それはまず、物事を説明するときはオーバー60にわかるように説明しようも、小学生のそれと同義であること。

 

そしてもうひとつは、コミュニケーションという言葉をおきかえるプロセスのことだ。コミュニケーションをおきかえると、ひとつに、ひととひとでお話をして、お互いがなにをおもってるか、かんじているかを考えたり、確認したりすること、とかっていま思いついたのだけど。この作業によって「コミュニケーション」は、かなり具体的かになってるとおもうのだね。

 

その具体的なものを曖昧にしてるのがマジックワード「コミュニケーション」で、っというか日本語ってこういうことがものすごい多いのね。スウェーデンにいったこと、そして、両親に説明してるときに気づいたこともうひとつのこと。

 

「ますますのご活躍を期待してます。」↔なにに対してご活躍するかわからない、活躍ってなに?

 

この曖昧さが余白を生むこともわかったし、逆に曖昧さを生んでよくわからないということもわかった。どちらが正しいというわけではないけども、ぼくはどちらのコミュニケーションも好きですね。はい。

まぁ、いずれにしろオーバー60に説明することは、ひじょーうに難しいということがわかった一日でした。