腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

SDGsってなんなの??


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最近SNSや日本のニュースでやたら、SDGsSDGsが騒がれてる、(ように感じる。) スウェーデンでも若干学んだのだけど、なぜいまごろになってこんなに目にするんだろう、疑問におもった。そもそもSDGsは国連が定めた「指標」で、おおざっぱにいうとその行動指針に基づいて、社会をサステナビリティに向かわせましょうよっていうことなんだけど。

ここで疑問が二つあって、そもそもサステナビリティってなんなのよ?っていうことと、なんでSDGsが盛り上がってるのかな?って。
まずサステナビリティって言葉が使われだしたのは90年代の国連の報告書だった。それまでに、このままの社会システムでは地球ないし、社会生活を維持していくことがすごくむずかしいことは何度も報告があったけど、「サステナビリティ」という言葉が使われたのははじめてだった。(それ以前にも使われていたとおもうが、国連のような大きな機関で使われたはじめたのが。)

 

サステナビリティにむかうために、どういった発展(sustainable development)をすべきか、ということが話の軸になっていくのだけど、はっきりというと、この定義はだれが、どの機関がいったかによって、バラバラなのです。だから、ひとくちにサステナビリティっていっても定義によって、どういったことを指すのかということが違ってくるのだな。だから、僕が学んだサステナビリティと国連がいうサステナビリティは違ってくる。これが前提だから、この言葉を説明するときはあくまで、なにかしらの文脈に基づく言葉なの。スーパーざっくりいうと、地球も人類もハッピーになるように努めるということなんだけど、努めかたや努めかたを測る指標は全然違うことになるんだなー。それに若い分野だし、日々研鑽されてる最中だし、どうしたら永続的、持続可能に人類がくらしていけるかってそもそも相当むずかしい命題じゃない?

 

にも関わらずさ、言葉だけがすんごい先走ってる感が個人的にはしてて。修論で取り上げたトランジションムーブメントの立役者っていうか張本人にインタビューしたときに、トランジションタウンはサステナビリティを目指してるみたいにみえるけど、そうなの?ってきいたときに、サステナビリティという言葉は使わないといっていた。なぜなら、その言葉自体にあまり意味がないからと。例えばイギリスでは、いまの政策に全部sustainable developmentと明記されてる、ってことはもうサステナビリティかというと、全然っていうことはだれの目にも明白だし。もっと「行動する」ということに重きをおきたいってなことをいっていた。

 

コンセプトが日々うまれ、消費される風潮みたいなのが自分はキライなのだとおもう。あとその広まり方、大手の広告会社と行政が広めようとして、少しずつ企業がサステナビリティしてますアピールみたいなのに使われる(もちろん、すべてがすべてではないとはわかっているのだけど。)

 

SDGsっていうコンセプトがキライなわけではない、でもSDGsを消費したら、つぎはなんなの?