腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

サステナビリティの定義

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前回SDGsっててなんなの?ってエントリをだしたから、それじゃ、自分が学んだサステナビリティの定義はなんだったのか、ちょっとおさらいする。

まず、前提として、人類がつくりあげてきた社会システムでは人類ないし、地球はもたない、ほらいま人類の生活は地球上2個半だか3個分の生活をしてるってニュースなかったけ?石油はばんばん使うし、温暖化はすすんでるし、世界の貧困は広がるばかりだし、環境も社会もちょっと、いや相当ヤバイよねってのが前提。

そのサステナビリティを最初に学んでびっくりしたのは、世界観から勉強がスタートするの。アカデミックの世界ではディスコースっていうのかな、文脈とも捉えていいかもしれない。この文脈をうまく説明することができない、、、あるなし的な感じでこれまでの世界観とサステナビリティの世界観を表現してみる。

 

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左が世界を牛耳る世界観。右がサステナビリテェの世界観



よにはこびる課題は、特定の原因があって、結果があるわけではなくて、もっと原因となる要因が、有機的に複雑につながりあっている、一周まわって、いい方法がもわるい方法にもなりうるし、課題解決が課題自体にもなる、という禅問答のような東洋的思想が見えかくれする。この文脈に基づくと課題は4つに分類される。これはカナビンフレームと呼ばれる。このコンプレックスないし、コンプレキシティがサステナビリティが扱う課題で、この課題は人類が作り上げたシステムによって、どんどん進んでいる。

特定の原因があるわけじゃないから、全体性(ホリスティック)なアプローチが必要になる。まぁ、それがシステムシンキングなんだけど。。いま気づいたのがサステナビリティの世界観の前提とかを説明するだけで、かなり複雑だ、むしろ、これがコンプレックスなチャレンジそのものじゃないかい笑

有機的な課題がどんどん人類をダメなほうにおし進めていくから、どうしたらいいの?っていうのに登場したのかぼくが学んだフレームワークなんだな。それはFSSDってよばれてて(Framework for Sustainable Development)、このフレームワークを守ればサステナビリティに向かってくよ!っていう指針を示した。このフレームワークではサステナビリティをEcological と societalに分けてて、環境と社会っていう大きな柱があったのね。

例えば、ecologicaolでは具体的に、地球から物質(石油などなど)を発掘することに関わらないとか、socialの方では、自分自身が健康かとか、職場や社会で自身が発揮されてるか、とかまもらなければならない原則が8個あったの。

メインで学んだことは、このフレームをもって、unsustainable developmentな会社や組織をどういう風にサステナビリティに導いていくのか、ということだった。利益とサステナビリティが相反するっていうのがイメージだし、世界観の違う人とどうコミュニケーションするかとか、導いてくなかにもいろんなプロセスや背景もあって、サステナビリティってなんなのだぁぁぁぁぁってすごい思ったし、感じたのだけど、、、

このブログをかいてて、あんまり筆跡があつくならなかった。なんでなんだろ、っていうことをおもいだしたいのでこのまま残す。そして説明もわかりにくい、、、からこれはもう一度いつか書き直します、、、




SDGsってなんなの??


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最近SNSや日本のニュースでやたら、SDGsSDGsが騒がれてる、(ように感じる。) スウェーデンでも若干学んだのだけど、なぜいまごろになってこんなに目にするんだろう、疑問におもった。そもそもSDGsは国連が定めた「指標」で、おおざっぱにいうとその行動指針に基づいて、社会をサステナビリティに向かわせましょうよっていうことなんだけど。

ここで疑問が二つあって、そもそもサステナビリティってなんなのよ?っていうことと、なんでSDGsが盛り上がってるのかな?って。
まずサステナビリティって言葉が使われだしたのは90年代の国連の報告書だった。それまでに、このままの社会システムでは地球ないし、社会生活を維持していくことがすごくむずかしいことは何度も報告があったけど、「サステナビリティ」という言葉が使われたのははじめてだった。(それ以前にも使われていたとおもうが、国連のような大きな機関で使われたはじめたのが。)

 

サステナビリティにむかうために、どういった発展(sustainable development)をすべきか、ということが話の軸になっていくのだけど、はっきりというと、この定義はだれが、どの機関がいったかによって、バラバラなのです。だから、ひとくちにサステナビリティっていっても定義によって、どういったことを指すのかということが違ってくるのだな。だから、僕が学んだサステナビリティと国連がいうサステナビリティは違ってくる。これが前提だから、この言葉を説明するときはあくまで、なにかしらの文脈に基づく言葉なの。スーパーざっくりいうと、地球も人類もハッピーになるように努めるということなんだけど、努めかたや努めかたを測る指標は全然違うことになるんだなー。それに若い分野だし、日々研鑽されてる最中だし、どうしたら永続的、持続可能に人類がくらしていけるかってそもそも相当むずかしい命題じゃない?

 

にも関わらずさ、言葉だけがすんごい先走ってる感が個人的にはしてて。修論で取り上げたトランジションムーブメントの立役者っていうか張本人にインタビューしたときに、トランジションタウンはサステナビリティを目指してるみたいにみえるけど、そうなの?ってきいたときに、サステナビリティという言葉は使わないといっていた。なぜなら、その言葉自体にあまり意味がないからと。例えばイギリスでは、いまの政策に全部sustainable developmentと明記されてる、ってことはもうサステナビリティかというと、全然っていうことはだれの目にも明白だし。もっと「行動する」ということに重きをおきたいってなことをいっていた。

 

コンセプトが日々うまれ、消費される風潮みたいなのが自分はキライなのだとおもう。あとその広まり方、大手の広告会社と行政が広めようとして、少しずつ企業がサステナビリティしてますアピールみたいなのに使われる(もちろん、すべてがすべてではないとはわかっているのだけど。)

 

SDGsっていうコンセプトがキライなわけではない、でもSDGsを消費したら、つぎはなんなの?

「きく」ことの可能性


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ひとのはなしを「きく」ことのできる組織はつよい組織だ。

 

このひとことが自分が「きくこと」に興味をもったきっかけだった。事の発端は、働き方研究家(さいきんはあまり名乗ってないけど)の西村佳哲さんの講演会でこの話をしていたこと。西村さんが働き方研究家をなのりだしたのも、自身の働き方に疑問があったから、まずは自分自身がいいなぁとおもうひとに話をききにいく、ということからスタートしている。話をきく機会が自然と多くなった西村さんは、きく、ということの奥深さに気づいていった。

 

普段あまり意識してない「きく」ことってあらためてなんだろうと感じたことと、市役所という縦の意識がつよい、話をきけない組織にいたことから、西村さんの「インタビューのワークショップ」にすぐ申し込んでいた。そこから「きく」ということに傾倒していって、産業カウンセリングのききかた、も学びにいくことになった。詳しくはここではかかないけど、二つのききかたを学んだことで自分はこれまでなんてきいてこなかったんだろうと感じた。自分自身の興味や関心が先行してるにも関わらず、自分はなんてきくことが得意なんだろうと天狗になっていたのだね、、

 

昨今の日本では就職するときにコミュニケーション能力が必須だという。これってなんとなく考えると、プレゼンテーションとか企画発案とか、場の雰囲気をつくったりしきったり、相手に伝える能力だと捉えられがちだけど、僕はそう思わない。コミュニケーション能力とは相手のはなしを本当に「きく」ことのできる能力をさすとおもう。(もちろん、その上で伝える力も必要だけど)。スウェーデンにいておもうのはね、ヨーロッパの文脈ではみんなこの伝える能力に秀でてるの。でも、相手の話をきくことができない。ここに僕は自分の役割をみつけた。相手のはなしをちゃんときく、そして受けとめてからフィードバックする。そうすると、みんながそのことを認めてくれたのだ、英語が流暢じゃなくてもね。

 

じゃぁ、どうやって「きく」の?

 

って質問があるとおもうけど、ききかた、はひとつではない。西村さんのインタビューのワークショップのききかたと、産業カウンセリングのききかたは似てるところもあればちがうところもある。ききかたは、たくさんある。

 

NVC(ノンバイオレンスコミュニケーション)、カウンセリング、インタビュー、コーチング、個人の手法まで。ほら、阿川さんのききかたについての本もベストセラーにならなかったっけ?自分があいそうだなぁっていうものから、スタートしてみてほしい。NVCもさまざま人がワークショップしているし、本もでてるからとっつきやすいとおもう。

 

個人の感覚として、本当にきいてもらえると、「うけいれてもらえた」って感じるなの。この感覚って、安心するし、自分がそこにいていいようにおもえるの。こういう感覚が実はすべての課題を解決する一歩にも感じるけど、それはちょっとオーバーかな?

 

コミュニケーションに悩んでるひとがいたら、まずは伝えるではなくて、きく、からスタートしてみてはどう?

ブレーキンゲ工科大学

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スウェーデンで僕がいった大学の名前。工科大学っていうくらいだから、テクノロジー系の学部が多いのだけど、そのなかにひっそりとMaster of Strategic Leadership towards Sustainabilityというマスターコースがあった。頭文字をとってMSLSってよばれてる。今年で15年くらい?サステナビリティという学問はアカデミックの観点らみたら、まだまだ若いようにおもう。

 

スウェーデンは、世界ではじめて脱石油依存を宣言したり、リサイクル率が高かったり、いまでこそ環境先進国というイメージがあるけど、80年代ころは、全然だったらしい。またいつかブログにするけど。そして、90年代から環境意識が国全体で高まっていた。そして、経済成長だけってどうなの?っていうなかに登場したのが持続可能な社会ってなんなの?っていう考え方だったのだな。

(ちなみにサステナビリティ=環境保全ではなくて、もっとポップにいうと、地球も環境も人間が住む社会も、未来のひともハッピーになるように社会システムつくってこー!かな笑
※定義はどの文脈で語られるかによってかわったりしてくるので要注意。)

その登場に一役かったのが、このコースの創始者だっのだね。経済成長と環境保全が相反するモノだとおもってた社会にとって、みんなハッピー!の考え方は、目からうろこだったのだ。そこから20年くらい?途中で、サステナビリティを扱うリーダーを育てるリーダーシップがくっついていまにいたる。

 

このコースの特色として面白いのが、50人ほどの小さなコースに全世界中から生徒があつまるのだ。大きなプロモーションをしてるわけでもないのに、毎年数百人がその枠に応募する。サステナビリティを語るうえで多様性が大事なので、コース自体も多様性を大事にしてる。自分のときは世界27ヶ国から人が集まった。スウェーデンの大学に関わらずスウェーデン人は3人だったというのが驚き。

 

海外の大学院いきたい、っておもってるひとにはいろいろあるけど、おすすめしたい。まずひとつにこの多様性がたくさんの気づきをもたらす。ふたつめに、MSLSを選ぶひとたちはみんなやさしい、とおもう。みっめにカールスクローナという街が海に囲まれてとても美しい。そして学校の目の前も海なのだー!(写真は学校の目の前の)

もちろんいろいろには苦いポイントもあるけど笑 もしいきたいなぁなんて人は連絡してもらえれば相談にものります。たくさんのひとに支えれて自分もこの大学を選べたので。

経済成長っていつまで成長するの?


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あらためていいたい。

経済成長っていつまで成長するの?そして、いつまでGDPや儲かることや数字になりやすそうなものが指針になるのだろうか。僕が公務員時代に感じていた政策への違和感はだいたいこの問いが源流になってる。地方創生、地域活性化、、アイマイでキライな言葉だけど、この言葉に隠されたニュアンスって経済的に成功する、お金を儲けるってことがあるとおもうの。

継続性っていう観点からみたら、それはある意味イエス、といえる文脈もあるんだけど、そこではなくて。儲かることという世界観に基づいて選択が行われたいったり、行き着く先ってどこなの?って思ってしまうの。

僕の気持ちをすでに「成長の限界」という本が言い当ててくれてて、成長にはやはり限界があるの。だから、成長にかわるちがう世界観が必要なのではないかな、ってずっとおもってたんだ。だから、サステナビリティっていうフィールドを選んだのだけど。これが答えだ!というよりは、どういう世界観が語られてるのか知りたかった。「成長」以外を見たかった。それが大学院にいった理由のひつつだ。