腹よわ男子の日記

お腹が弱い。ホラー映画が好き。スウェーデンの大学院でサステナビリティとリーダーシップの修士号をとりました〜。

腹よわ男子の背景

 

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これまでの経験上、自分の文章って自分を知っている人だと面白さが倍増するということがわかっているんだけど。
逆に知らない人が読んだときに、自分は感覚で書いちゃってるから、その感覚を自分が知っている人はその余白を埋めることをできるんだけど、
知らない人はそれがギャップになって「はてな」ってなっちゃうんのよ。それがわかってるんだけど、自分の文章力だとそのギャップを埋めることができないの。。
あと埋めようとすると、自分のリズムが崩れるようで書けなくなっちゃう笑
それじゃ、会ったことない人はどうしたらいいの、ってなるんだけどさ!
 
だからちょっとだけ自分の簡単にこれまでの経歴?的なやつだけをちょっとだけ書いておこうかなって。だから、そこから自分を想像して欲しい。
そのイマジネーションがギャップを埋めてくれるのを手伝ってくれる、はず。
 
僕は、昭和の終わりに生まれて、終わりって平成には近くないけど。ものごころつくころには、バブルははじけてた。
親世代がよくいう「昔は良かった」っていう感覚がよくわからない世代のはじまりだと思う。ジェネレーションX。
 
小学校では、少年ジャンプは全盛期だった。ドラゴンボールスラムダンクダイの大冒険るろうに剣心ジョジョの奇妙な冒険、数えたらキリがないくらいど真ん中に体験した。
さらにはファミコンからスーパーファミコン、中学生になるくらいにはプレステーション、セガサターン、高校生の頃にはプレステーション2、ドリームキャストニンテンドーキューブとか?ジャンプとゲームだけ見たけど、この昭和の終わりの世代って、カルチャー視点からもちょうど昭和と平成の狭間にいるんだね。多分、ちょっとしたの世代からは、ドラゴンボールとかよりかはワンピース、ファミコンよりかはプレイステーションからカルチャーに入ってくって感じだもんね。
たぶん、携帯電話でも同じで、最初の機種はIDO。ワンギリとか流行ってたなぁ。っていうことをいうとだいたいどんなことをして、どんなことが流行ったかっていうのがみんなと同じだからわかるでしょ〜。たまごっちもポケモン(緑)もときメモもやったよ!
 
まぁ、みんなと同じでどこにでもいるふつうの子。 父親は自営業に近い、母親はパート。決して裕福ではないけど、普通の家庭で育った。家庭に問題があったことは後からしるけど笑
大学は、決して偏差値が高くはない普通の大学に入学。6大学よりも下、日東駒専レベル。頭が悪い方ではないけど、決していい方でもないかな。英語が好きだったという理由だけで、英米文学(っていうかその時にはただいろんな大学の「英語」ってつくところに応募したっていう感じだったように思う。)
卒業するころにはさ、就職時代もそんないい状況ではなかったし、後、自分の感覚かもしれないけど、世の中になんか全部出揃った感覚があったんのだよね。テレビは薄いし、インターネットは発達したし、ゲームはプレイステーション3だし、これ以上自分が入る余白があるの?って思ってた。だから、卒業後はフリーターになろうと思ってた。
 
公務員になったのは、地方公務員はただ単に親にいわれて入ったっていうことと自分が好きだった英語が生かせそうっていうこと、そしてもう一つ理由があった。(これはいつか文章にします。)
そこから、なんやかんやで10年くらい働いたの。最初は、税金のことを扱う部署に配属されて、「え、英語が使える国際には配属されないないんですか」っていうギャップからはじまったの。仕事は市民の人から疎まれるし、居酒屋にいっても市役所の悪口をきくし、、上司には気をつかうし、、、とってもつまらなかったです。(あとからつまらなかったのは自分と気づくんだけどね!)そのあとは、市役所の財布を扱う部署に転属されて、決算を打つときや予算を作るときは、夜中まで残業したり。こういっちゃなんだけど、税務→財務っていう流れは市役所の中では期待されるポジションなんです。(やめちゃったけど。)
 
最後から二番目は、まちづくりの部署に配属されて、公私関係なく、土日も働きまくって。めちゃくちゃイキイキと働くようになったのだけどね。最初の税務から財務は市役所の暗黒時代であった。最終的には働きすぎて、左遷させられるんだけどね笑 アハハ。
 
そこから紆余曲折あり、スウェーデンの大学院に挑戦し、受かり、紆余曲折して、なんとか卒業できたのだよね。本当にこの一年間はつらかった。
結局、今はバックパッカーとしてヨーロッパを旅してるのだけど。
 

単純にいうと、アラフォー、無職、だよね。

 
このあと自分の行く道をつくるとか、発見するとかでこのブログで報告するのが夢。
少しだけ、僕の背景が共有できたかなー。※写真はスウェーデンやヨーロッパのどこか。

運命のアラフォー


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前回のブログからのちょっとしたつづき。35歳という年齢はひじょーにあいまいである。若いようでいて、若くないような。理想と現実のギャップをしっていて、そのギャップの埋めかたもしってるような。ドラクエでいったらレベルが20くらいである程度の冒険ができる。

 

ちょっとまえにAERAとほぼ日で合同で企画された「40代は惑う」が遠からず近からず、ぼくの気持ちを代弁してくれるようにおもう。

 

https://aera.1101.com/

 

糸井重里さんいわく、20代や30代は自分の円の中にいる限り万能感に溢れているが、その限界をしるのがアラフォーなのだと。ぼくは二十代後半から三十代前半にまさに万能感を感じていた。仕事がたのしくてたのしくて仕方なかった。ただ自分のやりかたが偉い人たちにきにいられなかったことで左遷を経験したときに、糸井さんのいう「もっと偉い人をつれてきて」といわれたときと同じ気持ちになったようにおもう。

 

ぼくはいち早くその円からでてみて、海外の大学院に挑戦し、いまにいたる。それでもこのどこにもつかずの状態がどうにも、不惑をかんじるんだな。自分がこれまでやってきたことや海外の経験、十二分にやってきたはずだし、これからどこかでちゃんと発揮できるはずなんだけど。でもでも、不惑の怪物がたまにでてくるんだな。

 

アラフォーでも、いまだに迷って、いまだにどうしたらいいかわからなくて、それでもいまは旅をしていて。この道がどこに通じているかはわからないんだけど、だれかに見届けてほしいのかもしれない。そんなブログだ。きっと。

 

ブログをかく前置きのようなモノ


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いま、イタリアのローマにいる。なにをするでもなく、単に生活してすごしてる。まわりからみたらバックパッカーと呼ばれるかもしれない。というか、プロフィールに書いてしまった。それは憧れのようなものから。

 

小学生のときにおぼろげにおもったことがある。どこかで自分は世界にいくんじゃないだろうかと。もちろん、いまいるから空想ではなかったわけだけど。実際にはなんだか不思議だ。高校生のときのなりたい職業は通訳だった。それはただ単に、英語がはなしたくなりたかったのと、通訳してる人をテレビでみてカッコいいなっておもったからくらい。大学生のときに、高橋歩の世界一周する本を読んで、さらに世界への夢が広がった。本の中の世界はキラキラしてて、キラキラしてる人になりたかった。

 

それがどうだろう。いまぼくはローマにいて、公園でビールをのみながらこのブログをかいている。スウェーデンの大学院にもいったから、ある程度は英語もはなせるようになっている。あのころおぼろげに考えてたことが現実になっている。でも叶ったぜ!というやってやった感は全然ない。

 

それはぼくがすこし歳をとりすぎたのかもしれないし、キラキラの裏側のドロドロもわかるトシゴロになってしまったのかもしれない。物事は単純ではないのだなということがわかってるいるからかもしれない。20代のころに体験していたらまた別の感覚になるとおもう。

 

ぼくはアラフォーにもなるのに、キラキラとドロドロをいききしてるように感じる。その気持ちを言葉にしたくなったんだろう。ときに書きなぐったり、構成を考えなかったり、読み手の存在を忘れるかも知れないけど、どうぞ暖かい読み手のかたは、このあともご贔屓に。

 

 

一年以上のブログ放置

 


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はっきりと書くべきものがやたらあるはずなのに、この一年なぜだが発信する気がおきなかった。

仕事をやめ、海外の大学院にいき、いまは、バックパックひとつで旅をしている。

書く内容については、ポンポンとでてきたはずなにの。ひとつに理由として、大学院も旅することも忙しいとおもうのだ。

大学院は毎週課題のやま、それに加えて、英語でのコミュニケーション、まったく休む暇がなかった。

それじゃあ、旅では時間に余裕あるじゃんっておもう人もいるとおもうけど、そんなことはない。毎日泊まるところを探し、交通を調べ、新しいことの連続でまったく休む暇がない。

その上、元来の性分として、コツコツとなにかをすることは得意なのだけど、考えること、思考を言葉にするのに時間がかかる。得に思考中はあれこれと気になっていることにウツツになることが多い。それはパソコンの画面をみながら、考えるモノではない。

 

それでも書こうとおもうのは、すこしずつでもいいから自分の経験をログにしたかったから。あまり長くなく、写真一枚使うくらいでやってこう。

 

今回の写真はおそらくスウェーデンのヤーナっていう場所。スウェーデンの夕やけはいつでも美しかった。

 

 

 

 

 

 

Ymobileに悲しくさせられた件について

こんにちは。今、すんごく悲しいです。

単なるワイモバイルに対するグチなんですけど。

クレームをいったとしても、どこにも届かない虚無感があって。

久々に、イヤな気持ちになって、疲れています。

これからワイモバイルを選ぶ人の参考にしてくれたらと。

 

使用の状況として

2年前にauからYmobileに乗り換えました。MNPってヤツです。

使用に関しては本当に満足していて、ネクサス5で、7Gまで。無料通話も月数百件まで10分無料で。電波も悪くないし(自分は地方都市に住んでるけど、本当に山奥に行かなきゃ大丈夫。)だいたい4000円から5000円以内におさまっていました。このサービスは本当にありがたかったです。

 

問題はここから。

自分がこれから海外に出るので、解約をしようとしたことがことのはじまりです。

 

2年の縛りの顛末

今、大体の携帯って2年間は縛りがありますよね。その間に解約したら、携帯の機種代と解約手数料を払わなきゃいけないヤツ。ワイモバイルも御多分にもれずそのタイプでした。

そろそろ2年経つなぁって思ってカスタマーセンターに問い合わせをしました。ここが変だよ、ワイモバイル1個目。携帯を契約した月は、日割りの計算があるが、解約月は日割りなし。

月額が満額かかります。(おまけに、2年間の割引がなくなり、解約月は多く料金がかかる。)

 

さらに!お店に行かないと解約ができない!

地方都市だと、ワイモバイルまで片道1時間くらいかかるのよ。往復2時間かけるってそれだけでちょっとコストだし、その労力を負担してくれるわけじゃないですもんね。(海外に行くので、解約月に店舗にいけない旨を説明したところ、紙ベースのやりとりで解約は可能に。)

このやり取り自体まではギリギリよかったけど、印象は悪くなった。せっかく使用に満足してたので、最後に、、、かよって感じてた。

 

修理に出して見た結果

そうだ、せっかく故障パックに入ってたし、海外に行く前にネクサス5はSIMフリーだから、修理に出してみようと思ったのが、悲しい結末を招いたのでした。

 

まず、店舗まで遠いのは、いうまでもない。

そこではじめにいわれたはてなポイント

「代替機を出しますが、代替機を破損させた場合、修理代金をご負担ください。納得された場合は、サインをしてください。」

うん、代替機を破損したら、お店の損害だもんね。わかるよ、わかるよ。車でいったら、代車をぶつけちゃうってことだもんね。

でもさ、でもさーーーーーーー!!!!!!

 

故障パックにそのサービスも含められないかな。もしくは、その間に新たなに保険代金支払ってもいいよ。ノーチョイスってのが、、、(実際には代替機いらないです、っていう選択もありかもだったけど。)

 

そして、店員さん。

「修理に出してみて、金額がわかったら連絡します。金額がオッケーだったら、修理はじめますね。」と説明されました。

さっき電話がかかってきた内容をそのまま話すると、

 

店:金額わかりました。ただ、メーカーさんで中を見た結果、基盤がサビついているところがあったので、そこも修理をしないといけません。

 

僕:そこも修理しないといけないんですか? 画面の破損だけなおしてもらうことはできないんですか?

 

店:法律で決まっているので、できません。

 

僕:なんていう法律なんですか。

 

店:PL法です。

 

ちょっと軽くだけ調べてみたんですけど、PL法って製造物に重大な欠陥があった場合に、使用者に損害を与えた時に罰するみたいな法律ですよね。詳しいかたいたら、教えて欲しいですけど、この場合って適用されるんですか。というか、そもそもその修理箇所が自分では確認できないので、本当にあるのかどうか、本当にそれ必要なのかどうかっていう判断がよく分からないんですよ。

 

 

それをPL法です、って一刀両断されて。修理代金も保証パックを使って7000円〜8000円くらいでした。

 

 

 

もうそれならいいよ。。

 

 

カスタマーセンターの魔の手

最後に、カスタマーセンターになんでできないのかっていうことと、これまでの経緯含めてクレームしようと思って電話したんです。

最初に出た人はいい感じの雰囲気でした。けど、故障について専門ではないので、そこの担当の人に回させてください、と。

 

 

待つこと約10数分

もちろん、ちょっとイライラしました。

 

 

カ:大変お待たせしました。

 

僕:大変、待ちました。

 

カ:最初に確認したいので、お名前を教えていただけますか。

 

僕:〇〇です。

 

カ:確認しますので、少々お待ちください。

 

待つこと、数分。

 

カ:(これまでの状況を最初のいい感じの人から引き継いでいて、その状況を説明。)Ymobileの規定によって、別々の修理はできません。

 

僕:その規定ってなんなんですか。

 

カ:お客様に納得するお答えをするために確認させてもらってもいいですか。

 

僕:確認ってなんですか。

 

カ:(食い気味に)確認させてもらっていいですか。

 

待つこと、数分。。

 

僕:◯◯さんじゃなくて、上司の方と連絡したいです。

 

カ:上司に確認をとりますので、お待ちいただけますか。

 

待つこと、数分。。。

 

カ:ご連絡できます。ただ、本日の連絡はできません。明日になってしまいますが、ご納得いただけますか。

 

僕:納得してないです。

  明日の午前中なら、空いてます。

 

カ:明日の午前中が上司が空いてるか確認してきますので、お待ちいただけますか。

 

待つこと、数分。。。。。

 

カ:確認できました、明日お電話しますね。

 

僕:上司の方はなんていうお名前ですか。

 

カ:私の上司は数人いるため、明日誰が電話するかわかりません。

 

僕:誰かわからないのかーい。

 

 

 

明日の電話を持ちながら、ブログを書いてる←いま、ここ。

 

自分は、とある会社のカスタマーセンター的なところで働いてたからわかるんですけど、ワイモバイルとは別の会社が絶対運営してるんですよね。だから、明日上司がきても、そこの会社の偉い人じゃないとワイモバイルの方にまで届かないんですよ。だから、僕のクレームも空をきることが目に見えてるわけで、、、。

さらに、これから修理できてない携帯をまた取りに行かなきゃいけないんだよ。往復2時間。

 

 

今回の件について、僕が感じたのは、携帯電話についてみんなが思っていることだと思うけど、こういう仕組みがやめない? 多分、2年縛りとか、解約料金とか、もろもろの携帯会社を縛っているやつが悪の根源じゃん。みんな思っているはずなのに、できないってなにかあるのだと思うけど、そこに少しだけでも、たとえ空を切ってもいいから、いいたいって思って書きました。

 

あと、多分、僕のイヤな気持ちを加速させてるのってワイモバイルのショップの店員さんのPL法です、っていう一刀両断と、カスタマーセンターで最後に電話に出た人の対応。

 

カスタマーセンター辛いのもわかるよ、でもさ、ものすごく無機質に応答されるのってこっちも辛いよ。

 

 

ここまでのやり取りで、僕は本当に悲しくなったのよ。

グチはここまでにします。

明日電話を受けて、ワイモバイルは解約してそれでおしまい。