社会課題化する社会課題
僕がまだ地方公務員として市役所に勤めた時の話。
自分たちの街くらい田舎だと地方新聞が独自の立ち位置にあって、主要な新聞社を抜いて
トップシェアを誇る。=世論、と考えている行政職員は多い(主観ね)。
下っ端の職員は朝8時にきては、全社の新聞をチェックしては、職場の先輩方に報告。
特に地方紙は、トップに君臨していることもあり、隅々まで確認。
(一回驚いたのが、レアルマドリッド優勝!!!と言う記事と、
地元の偉い人が〜の賞をとった!が同じくらいの扱いだった笑)
→これが重要で、ローカルにとって、価値感が全く変わってくる、ということなんだよね。
この感じは、まちづくりに関連している人はわかる感覚じゃないかなぁ。
さて話を戻すと、
最初ちょっと面倒だったんだけど、全社を見れる機会ってないし、
新聞社によって、同じ記事でも扱いや表現も違うし、色々な情報も得れるし、
すごく興味深かったんだよね。
女の子に振られた時に「人生相談」みたいな記事に同じような境遇で相談している人がいて、
その習慣を通して、考えたことがあったんだよね。
「社会課題化する社会課題」
いま、みなさん、テレビとかネットとかラジオやら何の媒体でもいいんですけど
「人口減少」って聞かない。人口が減っててヤバイとか、20何十年には、
地方が消滅するとか、年金はどうすんだとか、子供が増えないからだとか!
どこかで目にしたり、聞いたりしてると思うんだけど。
このニュースっていま、ある程度の人が認知している問題だと思うのだけど、
この課題っていつから言われてるのよ?
ちょっと実感値で説明していい?
多分ね、人口減少問題って結構前から言われてたと思うの。(これは今回とは別の問題)
けど、今ね表面化してきたのはなんでだろう。
実際のところ、自分が毎朝毎朝新聞を読んでいた時に、2年前くらいに突然、新聞の一面に
「人口減少!!!!」ってどこの新聞も一斉に取り上げ始めたの。
最初、え?そうなの?ってのが印象。
ただ、一過性のモノではなくて、いろんなメディアでこのことをね、取り上げはじめたんだよね。
そうするとさ、人口減少がなんか 社会の課題の一つを担っている!って言う雰囲気というか、
社会の課題を説明する時に、枕詞みたいに、人口減少が〜〜〜っていう風になってんだよね。
一気に、人口減少が社会課題として扱われた感!
って言ったら半端なかった。
確かに人口が減るっていうこと自体は、いろんな捉え方の中の一つに課題っていう風に見れるけど、
それよりも、僕は、この「雰囲気」って何ってすごく感じている。
さも、人口減少が課題として祭り上げられているかのような。
実態がない崇拝、のような。
盲目になっているのか、盲信しているのかさえわからない。
この空気を作ってものって何だろうなぁ。
- 課題(=仮想の敵)の実態がない。
- 困る人が(今の所)目の前にいない。
- 実際に問題になるのは、年数が必要。
- 盲信的になっている人への違和感
- かつ、その枕詞がないとが説明ができない。(課題だから、対策させて!)
この空気自体と、この空気の伝染しやすさにものすごく関心がある。
ちなみに僕は、この人口減少に対しては、減少する方にどうアジャストしていくかというスタンスです!
Good work 一生以上の仕事の等身
Good work 一生以上の仕事が良かった件について
表紙に、いいことについては、ちゃんと伝えたいって書いてあってほんと
その通りだなぁって思った。
この本は、だいたいイアンソープ世代(今、30代くらいの人たちをさす)の人たちが
登場人物で、なにかしらの事業を継いでいる。
そんな若手の後継者に焦点を当てた本だった。
今、30代くらいだから、若くもないのかもしれないけど、同世代として思うのは、
時代の唸りにいた世代なんじゃないかなぁって勝手に思っていて、
、ニンテンドーDS、プレステ2、3、4
全部を経験してきてる。
I’s、、、そこからワンピース、ナルト、もうナルトなんて一緒に大人になった感じだもんね。
社会状況だって、だいたい小学生くらいにバブルがはじけて、そこからなんか悲壮感を味わってるもんね。
そこから失われた20年だって言われてるじゃない。近場の親やおじいさんち世代に話を聞くと、行政の悪口か、あの頃は良かったっていう話しか聞かないもんね。
でも、ここに出てくる人たちは違う人たち。
この本に出てくる後継者たちのお父さんやおじいさんも戦後の混乱や様々な困難を時代に合わせながら、こえて来た。
そして、今、若手の後継者たちも、新しいうねりに合わせて、自分たちの考えを試してる。
でも、でも、なんだろう。時代にあわせて、というより、なんか本当に大切なことを大切にする、みたいな感じがするんだよね。
それは、家族だったり、従業員だったり、持続可能っていうことだったり。
近江商人の鉄則が、売り手よし、買い手よし、世間よしってあるじゃない。それに近かくて、さらには、
とある人がいってたんだけど、未来よし。
こういったことを、別に声高に、「よっし世界変えたろ、社会かえたろう!」っていう雰囲気ではなくて、「普通に」営んでいる。
このバランスってすごく難しいじゃない。実際利益出さないと!とかあるじゃない。でも、そのあるじゃない!と言ってる場合でもじゃない時が現代社会だと個人的には思っていて。
で、その現実を超えるのって結構大変だけど、この本に出てくる人たちは、挑戦してるんだよね。
でも、なんだろ挑戦っていうよりか、、、もっと生活の一部のような。
すごく等身大なんだよなぁ。だから、嘘っぽく聞こえないし。遠いような話にも聞こえない。きな臭くない。
この感じがすごくいいなって。
なんでいいなぁって感じるんだろう。
少し、ソーシャルなんちゃらとか地方創生とかにウンザリしてるのかもしれない。
そういう冠がつかないと社会が動かないような感じというか、和解やすい言葉がないと、わかりにくいと思っている人たちに届かない、というか。
あー、わかった。そういう冠ってchange the societyの一環なんだな。
そうではなくて、be the part of society なんだな。自分が心地いいなって考えるのは。
もうすこし、公共っていう歴史を紐解きたいな。感覚では どうして社会と個が離れてしまったのかはわかるから。
ちなみに、レーベルを作ったのもイアンソープ世代のカゲヤマさんという方。
30代の人が活躍しているとすごく嬉しい。
僕も頑張ろう。今年は、仕込みの年だ。
素直になってしまう現象
あ〜フォエバーヨオラブ。
変わらずに流れていく、時はとめられない。
今を忘れないさ
あぁ、今更ながら90年代に一世を風靡したドラマ「ビーチボーイズ」にはまってます。
きっかけは、セブ島でのダイビング。
全く興味はなかったのだけど。
たまたま後輩がセブ島でダイビングとマリンスポーツ関係で起業してたので、どうして会社をおこそうと思ったのか
中学生か高校生くらいの時、ダウンタウンのまっちゃんとかがギャグで、
お笑い界のビーチボーイズとかいってて、そんな記憶しかなかったけど。
今ならわかる、反町演じるヒロミ派か竹之内演じるカイト派。これは分かれるわぁ。
ちょっとおさらいするとビーチボーイズは、1997年に放送されたドラマ。
海沿いの民宿「ダイヤモンドヘッド」で、一夏の間に起こるヒューマンドラマ。
登場人物それぞれが過去に傷を持っていたり、悩みを持っていたり。
でも、なぜか海を目の前にするとみんな素直になっていく。めいめいに乗り越えていく。
いや、のりこえていくっていうか受け入れていく、、ような感じ。
自分ってつくづく「再生」みたいなテーマがスキだなっておもう。
キズついても、転んでも、失敗しても、、それでも進んでいく姿勢や行動に心を打たれてるんだろうな。
人生も一緒。
なんで海を前にすると素直になれるのか。
海っていいなっておもう。
なんだろう、向き合わせてくれるんじゃなくて、すぐそばにいて語りかけてくれるような
隣にいてくれるような
海沿いに住みたいという気持ちになる。いつでも素直になれそう。
僕のふるさとは、山に囲まれいて、海はすごく特別な感じがする。見るだけでテンションが上がる。
僕の勝手なイメージはなんだろう、山ってすごく厳しくて父のような感じなんだけど、海って全てを包んでくれる優しさがあるよね。
母性。
なんだかすごくスタンドバイミーを思い出してしまった。
あの4人組は森の中で、焚き火を前にして、自分をさらけ出す話をするんだよね。
あの感じと海ってすごく似てて。
どうしてあんな穏やかな気持ちにさせてくれるんだろう。海。
海。
人でも、モノでも、コトでも、
そういう風にさせてくれる 存在がきっとどこにでもあって。
それに気づいている、ってとても重要なコトだとおもう。自分自身と会話をする、ちゃんと色眼鏡をかけないで、自分自身と対話するの。そんな機会を作ってくれるの。
自分自身が産業カウンセラーだから、自分自身と会話する大切さを知っているけど、技術や姿勢すらも
自然さえあれば実は、大丈夫なんじゃんって思った。
サンキュー
しゃちょ〜〜〜〜〜〜〜!!!!
ちゃお。
アイアムアヒーローの謎
ゾンビ好きとして、今年からなるたけレビューしていきたいと思う。
作者は「ボーイズオンザラン」で人気を博した花沢健吾先生
ヤフーの映画講評
アマゾン
2016年に映画化された。
舞台は東京から静岡で、漫画で言ったらアウトレット編までを描いている。
しがない毎日を過ごしている。独り言、妄想は当たり前で、眠れない夜に、何者かが襲ってるくるという
思い込みに精神をやられている。その時のお守りとして、英夫は高校時代の卒業アルバムをめくる。
これだけでだいぶ、英夫が「キテる」やつっていうのがわかる。
この「キテる」っぷりを説明するのに、漫画だとほぼ1巻を費やしている。
ただこれは完全なる布石で、ジェットコースターで言えば、カタカタと最高地点まで気づかずに上がらせる。
そこからのFUJIYAMAばりの鋭角で物語が進んでいく。
ある日、突然に彼女がZQNと呼ばれるゾンビ(正確にいうと、怪しい)に変態する。
ウイルス感染なのか、病気なのか、原因は不明でここら辺はゾンビの正当な文脈を継承している。
ゾンビ本体としては、28日後や28週後に代表される「はやいゾンビ」で、身体能力も向上している。
このはやっさプリが物語の進度に貢献しているような気がする。
英夫は、なんとか「元」彼女を倒し、命からがら東京から逃亡していく。。。
その後、ウォーキングデッドのリックと一緒で仲間に出会ってくんですね。
女子高校生のヒロミ、元看護師のヤブ、、、けど、やっぱ提督ばりに悪いヤツがやっぱいっぱいいるんですよ。
カオティックな世の中じゃしょうがないのだけど、危険安心危険危険安心危険危険みたいな繰り返しなんだよね。
こういう世の中だとどんどん人間って廃れてくじゃない。誰も信用できない!って。
「世界が転覆しても、全く自分が変わらない」
英夫は猟銃の免許を持ってるけど(この銃が生命線になるのだけど)
初期の頃は全く使えない。公共の場で銃を出すと銃刀法違反になる、とか。
荒廃したコンビニで、お金の支払いについても気にする、とか。
圧倒的なコンプレックスで、自分はヒーローにはなれなくて、一般人(むしろ、それ以下)だと思っている。
自分自身で思い込んでる。英夫がコンプレックスに陥るのも想像できる。彼は、20歳前後で、一度、漫画賞をとるがそのあとは泣かず飛ばず。そのまま35歳になる。卑屈になるのも仕方がない。(英夫の場合、極端だけど。)
ヒーロー不在の世の中。
少しだけこの作品を現代社会に当て込めると、今の社会ってヒーローがいないと思うんですよね。
これから先の未来は明るいかっていうアンケートでマジョリティの人が「暗い」って答えるような社会で、
社会保障、仕事、年金、介護、国の借金、不安なこととか見えにくいことがたくさんあるんですよ。
その中で、ピンチになったら助けてくれるヒーローって断然いなくて、戦後の暗い時代に外国人をバッタバッタ倒した力道山みたいな。希望を感じることのできるアイコン、一筋の光になるような存在が不在なんだと思う。
不在というか、光が弱い
(いや、相対的には強いのかもしれないけど、圧倒的な不安という暗闇によって飲み込まれてしまう)
そんなイメージがある。
その社会における主人公ってほんと鈴木英夫みたいなやつなんだと思う。なんでもない人。
(英夫はちょっと極端だけどw)
幸か不幸か、一般人にスポットライトが当たる風になってきたんだな。
そこで新しい問いがひとつ。
「持たざるものが、どうこの社会をサバイブしていくのか。」
(自分は漫画のキャラクターとして、持たざる者が好きだということに気づいた。
自己イメージの囚われ
働き方革命―あなたが今日から日本を変える方法 (ちくま新書)
- 作者: 駒崎弘樹
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/05
- メディア: 新書
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働き方革命を読んで雑記。
内容というよりも筆者の体験と自分を照らし合わせて。
※一応、読んでいない人のために。
「働き方革命」著者:駒崎弘樹
病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会を作れないか、
という考えのもとNPO法人フローレンスをスタート。
(著者は会社を立ち上げた起業家。残業残業の働きマンで社員も忙殺させていた著者は、あるイベントをきっかけに
そもそも、自分たちの社員すら、仕事で育児を犠牲にさせているのでは、と気づく。
そこから、会社にコミットするだけでなく、家庭や地域や社会に貢献する新しいタイプに変わっていく
までに過程を描いた新書。)
それで、僕が気になったポイントは著者が自己のイメージに囚われていると気づくイベントだ。
それは、自分と重ねたから。じゃないと共感しないもんねw
とある研修はリーダーシップ研修だった。著書は、それまでにメールチェック中毒やコミュニケーション逃避症など
様々な疾患を抱えていた。それは会社をどうにかする、貧乏暇なし!!という思いからだった。
その主催者は、指摘する。「それは間違った自己イメージだ」
自己イメージの形成
人間は、何に基づいて行動するのか。それは自分の潜在意識の自己イメージ。
そして、その自己イメージは、実は、周りから作られてしまう。
発火して、情報を受け渡す。良い悪いの判断はなくて、ただ同じパターンができると神経の道ができる。
まぁ、これって一回上司にこっぴどく叱られたら、次何かをする時に、また怒られるんじゃないかって
ビクビクするという話。
当たり前といえば当たり前なんだけど、けど、これって本当そうだなと。
特に公務員の病気的なところで、「クレームを恐れるために言われた時用に
先にFAQを全て網羅して考える」⇦これが時間がかかるところの所以。
自分自身も今考えるとやっぱ、電話するのに躊躇したり、一度考えてから、何か行動するっていうのが
増えたのは、完全に、クレームを恐れる自分というイメージだったな。
しかも、人によっては、むしろ行動を起こしてからの、次の一手を考えたほうがいい場合もあって。
先に全てを網羅することが完全に無駄パターンっていうことも。。
ほんと囚われるんだね。
走る哲学
話は飛んで、働き方革命を読んで、思い出したのは、走る哲学家と呼ばれる為末大さんが
書いた「走る哲学」に書いてあったこと。
いかに早く走るか、を考えた時に、どういう風にそのアプローチを取るか。
以下引用。それはいい感じががわかることと、いい感じが出せる事が技術が向上する上で大事だと。前者は美意識だと思っていて、後者は遊びで誘発されると思っている。
これは働き方革命のイメージで言い換えると、いい感じ=なりたい自分、ありたい自分
いい感じが出せる事=自分がこれまでやっていなかった事をやってみる
駒崎さんもまず自分のビジョンを書き出すところから、はじめ、次に皿洗いや、いきなり6時に退社する
などを始める。
僕は、美意識ってどこで作られるんだろうって考えた時に、やっぱロールモデルに出会えているか出会えていないかがキーで。自分で一からそのイメージを作るのって難しい、と感じる。
そして、「遊び」。このアプローチがすごくいいよね。自分の範疇をこえる、いい感じが出せる事って遊びから始まるんだよ。
小さい子頃の遊びを思い出して、何か、鬼ごっことか、いろオニとか、特別ルールが加算されて、さらに面白くなっていく感じ。
自己イメージは美意識と遊びによって覆っていく。
ともあれ、ものすごい、遊びたいよナーーーーーー!!!!!!